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  • S.TAKAYUKI

東北震災の本を読む

更新日:4月13日


東北の震災の本を読む。

このところ、立て続けに東北の震災についての本を読んだので、その感想。


リチャード・ロイド・パリー「津波の霊たち」

英国のジャーナリストによる3.11のルポルタージュ。大川小学校の参事がメインストリームだけど、その周辺にあるあまり語られることのない「隠された」部分が印象的。そのあまり語られることのない「隠された」部分とは、すなわち霊のこと。

「それって幽霊でしょ」というと体験した人は「幽霊っていうな」と怒ったという。

あまりに突然やってきた死について、生きることを寸断された人々や、それによってあるはずの明日を奪われた人たち。儀式としての「死」を経ていないのでちゃんと死んでいないことになるんじゃないか。

僕たちはこの生と死の狭間を表す適切な言葉を持っていないので「幽霊っていうな」と怒ったのだと思う。

著者のリチャード・ロイド・パリーは英国人。我々日本人にとってなじみの深いラフカディオ・ハーンも英国人。小泉八雲として日本の怪談などを著した。日本の東北という風土とイギリスの、おそらくケルトの風土は「生と死の狭間」についての感覚をもっている。

これは決してファンタジーでもオカルトでもない。しかし決してテレビやマスコミから流れる疑似リアルワールドでもない。このことを表現できるのは文学や映画かと思っていたけど、一流のジャーナリストのルポルタージュから発信されたということは、とても大きな意味を持つと思う。


いとうせいこう「福島モノローグ」「想像ラジオ」

儀式としての「死」を経ていないのでちゃんと死んでいないことになるんじゃないか、と思ったところで、いとうさんの「想像ラジオ」を読んだらまさにそのことを書いていた。びっくりした。

死の側へ行っていないDJが想像力を駆使して想像のラジオでしゃべり続ける。途中にいろんな人の(同じような境遇といいていいかどうか)エピソードが挟まれる。

これはいとうせいこうさんの「銀河鉄道の夜」なのだろう(余談だけど池澤夏樹さんの「キップをなくして」を読んだ時も「銀河鉄道の夜」だと思った)。

そういえば著者の宮沢賢治は東北人だった。カンパネルラの死にゆく旅の情景をジョバンニの視点で描いたのが「銀河鉄道の夜」ならば、カンパネルラじしんがDJアークなのだ。でもDJアークはカンパネルラのように沈んでいない。カラ元気で笑いをとることを忘れない。奥さんと子供のことが心配なだけ。でもようやく、逝っていいよとなる。このあたりは自身で読んでください、絶対泣いちゃうから。

小説の構造はDJのモノローグだから読みづらさを感じたけど、いやいやこれは舞台なのだと思ったら小説世界がぐんとひろがった。

一人芝居の演劇。演劇という舞台空間ならこの「想像ラジオ」はもっとすごい装置になる。いや回路かな。この世とあの世をつなぐ装置。想ー像ーラジオー。


「福島モノローグ」

とにかく普通の人々のなんと凄いことか。ただ牛を助けたいだけのコンビニ店員とか、被災地でラジオ放送する役場の職員さんとか。みんな私達と同じ地面に立っている人々である。

たしかに、本の紹介にあるように「21世紀の『苦海浄土』」であるわけであるけれども、受ける印象がまるで違うのは何故だろう。水俣病は100%人災であったから、悲劇→怒り→闘いという構図が出来上がってしまったのは歪めない。では東北地方の震災はどうか。

最初に地震、津波があったから自然災害なのだろうけれど、そのあとに起こった福島原発事故は人災じゃないのか。

畑を耕すのに、常に放射線量を測り、土を入れ替え、文献を読み、大学の講義を受け、人の助けを借り、出荷できる見込ができるまで何年も試行錯誤を繰り返し、という努力をどうして私達普通の人がしなければならないのか。

前述のリチャード・ロイド・パリーさんも「津波の霊たち」のなかで、日本人はもっと怒っていいと言っていた。その通りだと思う。

「福島モノローグ」に登場するひとびとはもちろん怒っているのだと思う。だけどもっと率先してやらなければならないことは、自分たちの営んできた「生活という文化」をここで終わらせてはならないという強い意思なのではないか。

建築家として聴いた話にこういうことがあった。阪神淡路大震災の後のことだ。

淡路島の伝統的な漁村の風景が(地震で)なくなってしまった。昔ながらの日本家屋の風景だ。そのあとに何が起こったかというと、大手メーカーたちが土地を買いあさり(青田刈りといっていた)土地付きで家を建て、風景がまるで違うものになってしまった。甍の風景がサイディングに変わってしまったのだ。

福島では、農業をやめるという選択肢もあっただろう、放射線量の多い地域の牛を手放す(見捨てる)という選択肢もあっただろう。当然で仕方ないことだ。でもごく少数の人が否と行動を起こした。

文化は誰かが継承しなくてはならない。


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